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屋上を始めて意識したのは、15年も前のことだ。

学生のころ、銀座で英会話教室のチラシを配るアルバイトをした。当時としては破格の時給だったためか、バイトの説明会には、思いのほかたくさんの学生が集まっていた。 学生たちはみな、着席して担当者を待っていた。やがて担当者が現れ、説明が始まろうとしたそのとき、何人かがほんの少し遅れて会場に入ってきた。すると、説明をしていた男は彼らに向き直り、言い放った。
時間を守れないような者に用はない、帰っていいです。
会場は静まり返り、着席していた学生たちまでもがきまり悪そうに下を向いた。
やる気のある者だけに仕事を与えると、雇い主は協調した。 そのパフォーマンスは、子供相手にまんまと功を奏した。 単純な私は使命感に燃え、チラシを渡されるとすぐに、やる気満々で表へと飛び出した。(文字通り、走るように外に飛び出したのである。今そのときの様子を客観的に想像すると笑えるが。)

渡されたチラシが何枚だったのかは覚えていないが、手提げ袋にいっぱい入ったそのチラシをすべて配り終えれば、時間にかかわらず仕事は完了、決まった額の給料が支払われるという約束だった。
有楽町マリオン前は人通りも多く、他にライバルがいないため(そこはビラ配り禁止エリアだった。)、人に何かを配るにはもってこいの場所である。おかげで、警備員に見つかって追い払われるまでには、予定の枚数はほとんどはけていた。そして残りの枚数をガード下で配り終えると、私は意気揚々と(古臭い言葉だが、このときの私の様子はまさにこの言葉どおりだったことだろう。)バイト先へ戻った。
例の担当者は、あまりにも早い私の帰還に驚いた。そして、いやいや君はよくやってくれたね、それじゃあこっちも頼めるかな。と言いながら、新しいチラシの束が入った手提げ袋を私に手渡した。
高揚していた私は深く考えもせず、分かりました、と答えると、再び通りへと出て行った。そして当然のことながら、数枚配ったところで我に返った。
銀座の通りには、着飾った人たちがあふれている。私は急に自分の貧乏たらしさ加減がいやになり、チラシの詰まった紙袋をつかんで歩き始めた。そして人ごみから逃れようと、松屋銀座の屋上へと向かった。

屋上は静かだった。
私はベンチに座って、ゆっくりと周りを見回した。
.平日の真昼間の屋上で、所在無げにうろついたり、手持ち無沙汰げにたばこをすったりしている人たち。
当時、世間はバブルのさなかで浮き足立ち、銀座の通りも活気に満ちていた。
そんな世の中とは何の関わりもありませんとばかりに、その人たちは、ただそこでぼんやりと時間をつぶしているようだった。

私は立ち上がり、隅のゴミ箱へ向かって歩いた。
そして、手提げ袋を逆さにして中身を一気にゴミ箱に落とし、屋上を後にした。
そのときの、すべてを笑い飛ばしたくなるような爽快な気分を、私は今でも忘れない。



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